序文

ヨーロッパ史において「啓蒙主義時代」とは、通常一六八九年のイギリス名誉革命から一七八九年のフランス大革命に至る近世初期の百年間を指す。ところで、ヨーロッパ史において「宗教フレーム」を脱ぎ捨てる空前絶後の思想的・文芸的・世界観的大変動が貫徹されたこの啓蒙主義時代には、さらに百年間の前史があった。この「百年前史」の時代にも、それ以前のルネサンス時代に比べれば前代未聞の思想的・文芸的激変が起こった。一〇―一四世紀の本来的な中世時代に比べれば、一五―一六世紀のルネサンスは中世末期に該当する。したがってルネサンス時代に文芸は復興したが、この文芸復興はあくまでも神観念とキリスト教を固守する「宗教フレーム」の内部で起こったものであった。しかしこの「百年前史」は、新たな哲学者たちが登場して神観念を――たとえ捨て去りはしなかったにせよ――理神論的に歪め、カトリック・プロテスタント的聖書解釈から脱却させることによって、既存のキリスト教とも思想的に深刻な世界観的フレームの葛藤と摩擦を繰り広げた時代であった。

この時代を単に「ルネサンス時代」と呼ぶ学者もいるが、近年、文化史・思想史を専門とする一部の史家は、この「百年前史」の時代を「バロック(Baroque)」という建築美術の概念を借用して「バロック時代(Baroque Age)」と呼んでいる。筆者もこの時代区分を受け入れ、かの「百年前史」を「バロック時代」と呼ぶこととしたい。

ただし、具体的にいつからバロック時代が始まるのかについては異論がありうる。時代史的な観点のみでヨーロッパ史を裁断する歴史家たちは、ルターの宗教改革が始まった一五一七年をバロック時代の出発点と見なしたがる。しかし筆者は、宗教改革とプロテスタンティズムもまた中世とルネサンスのキリスト教的宗教フレームに閉じ込められていると考える。それゆえ筆者は、バロック時代の出発点を、カトリックとプロテスタントに共通する理論である王権神授説を否定し、王権民授論と暴君放伐論を主張したジョージ・ブキャナンのスコットランドの王権(De Jure Regni apud Scotos)が公刊された一五七九年に置く。このように見れば、「バロック時代」は一五七九年から一六八八年までの百余年間であり、「啓蒙主義時代」は一六八九年から一七八九年までの百年間である。バロック時代と啓蒙主義時代とを合わせれば、二百余年の期間を包摂することになる。

この二つの時代における相次ぐ思想的・政治的激変と衝突は、いずれも孔子哲学と中国文化の衝撃によって既存の「キリスト教的宗教フレーム」が歪められ、あるいは打ち砕かれていく中で生じたものである。この二百余年の間、ヨーロッパとイギリスでは文化・芸術思潮が激変し、近代哲学としての啓蒙哲学が興起した。本書十七・十八世紀イギリスにおける孔子崇拝とモラリストたちは、バロック時代と啓蒙主義時代のイギリスにおける文化・芸術思潮と啓蒙哲学とを扱う。思想家で言えば、ジョージ・ブキャナンからフランシス・ベーコン、ジョン・ミルトン、ジョン・ウェッブ、リチャード・カンバーランド、ウィリアム・テンプル、イサーク・フォシウス、ナサナエル・ヴィンセント、ジョン・ロック、シャフツベリ、ジョン・トレンチャードとトマス・ゴードン、マシュー・ティンダル、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスに至る一五名のイギリス思想家を、孔子哲学が及ぼした影響という観点から分析する。この一五名の思想家たちは、ホイッグとトーリーの別なく、バロック・啓蒙主義時代のイギリスの現実政治を直接・間接に鋳造した人物たちである。

本書近代イギリスの孔子崇拝とモラリストたちに先立って刊行された孔子哲学と西欧啓蒙主義の起源は、孔子と孟子の政治・道徳・経済哲学、葉適・丘濬・黄宗羲らの経済理論、一七―一九世紀の紳商層(中国ブルジョアジー)による経世致用の実学、一一―一八世紀の中国および極東諸国の政治経済史、儒教文明と孔子哲学の西遷、そして儒教文明と孔子哲学の文化的・思想的衝撃による西欧啓蒙主義の胎動と起源などを追跡して詳細に究明し、総論的に整理したものである。この追跡と究明の作業において筆者は、宋代中国の歴史的発展段階を「普遍史的近代の発端」、すなわち「近世の出発」と位置づけ、この普遍史的近代性を「儒教的近代性」として規定した。かくして孔子哲学と西欧啓蒙主義の起源は、極東の政治・経済発展を繰り返し孔孟の政治・経済哲学へと還元して分析したうえで、一六世紀半ばから儒教文明を西洋に初めて伝え始めたポルトガル人無名氏の中国報告(一五五五年)、フェルナン・メンデス・ピントの中国報告書簡(一五五六年)とピントの遍歴記(一六一四年)、ガレオテ・ペレイラの中国報告(一五六四年)、ガスパル・ダ・クルスの中国風物論(一五六九―一五七〇年)、ラダの公式中国報告書(一五七五年)、エスカランテの中国航海論(一五七七年)、メンドサのシナ大王国誌(一五八五年)、ヴァリニャーノ・サンデのローマ教皇庁訪問日本使節記(一五九〇年)などを紹介した。また、ヨーロッパに最初に伝わった儒教文明の影響を受けて胎動した、いわゆる「バロック政治思想」の萌芽は、ジョージ・ブキャナンの急進的な王権民授論と暴君放伐論(一五七九年)、ロベルト・ベラルミーノの自然的自由・平等論と折衷的な王権民授論(一五八一―一五九三年)、フランシスコ・スアレスの王権民授論と異端君主放伐論(一六一二年、一六一三年)など、キリスト教神学者たちの著作を中心に分析した。そして一七世紀には、パーチャス(一六一三年)、マテオ・リッチ・トリゴー(一六一五年)、セメド(一六四三年)、マルティーニ(一六五九年)、キルヒャー(一六六七年)、ニューホフ(一六六五年)、ナバレテ(一六七六年)、マガリャンイス(一六八八年)、ル・コント(一六九六年)、デュ・アルド(一七三五年)らの中国旅行記や中国誌が刊行され、一六六二―一六八七年にはインタルチェッタ、ヘルトリヒ、ルジュモン、クープレらによって孔子経典のうち論語、大学、中庸をラテン語に訳した中国の智恵(一六六二年)、中国人の政治・道徳学(一六六七年)、中国の哲学者 孔子(一六八七年)などが刊行され、一七一一年にはフランソワ・ノエルによってこの三書と孟子、孝経、小学を合本した中華帝国の六経典がラテン語で完訳・出版された。これとともに、一七世紀半ばから一八世紀初頭にかけて、西欧啓蒙主義を胎動させた「啓蒙主義の先駆者たち」が現れた。孔子と儒教文明を密かに崇拝し、あるいは暗々裡に追随したこの初期啓蒙主義は、フランシス・ベーコン、ラ・モット・ル・ヴァイエ、イサーク・フォシウス、ジョン・ウェッブ、バルーフ・スピノザ、リチャード・カンバーランド、ウィリアム・テンプル、ナサナエル・ヴィンセント、サミュエル・フォン・プーフェンドルフ、ピエール・ベール、ジョン・ロック、ゴットフリート・ライプニッツら一二人の道徳哲学・政治哲学を中心に総論的に分析・整理した。

一八世紀のヨーロッパの哲学者たちは、こうした一七世紀の哲学者たちとは異なり、われもわれもと公然と孔子の名を連呼し、自らの啓蒙主義的正統性を誇示して得意になった。孔子の引用と活用において見られたのは、率直かつ堂々たる者たちと、小心にも自らを隠し、あるいは自己の独創性を誇示しようとして孔子哲学から学んだ事実を隠す者たちとの違いだけであった。一八世紀には、ジョン・ウェッブ、ウィリアム・テンプル、ナサナエル・ヴィンセント、ピエール・ベール、ジョン・ロック、ヒューム、ヴォルテール、ケネー、ダルジャンソン、ディドロなど、ほとんどすべての哲学者が堂々と率直に「孔子」を連呼し賛美した一方で、一七世紀半ば以降のミルトンに続き、シャフツベリ・アダム・スミスらのように教団の弾圧の脅威に怯えたり、孔子の思想をあたかも自らの独創的思想であるかのように装おうとしたりする哲学者たちは、孔子哲学を剽窃しつつその事実を隠し、痕跡を消し去ろうと腐心した。他方、フェヌロン・マルブランシュ・バクスター・ウォートン・バークリー・デフォー・モンテスキューら、キリスト教第一主義的なヨーロッパ中心主義を死守する、いわゆるヨーロッパの「衛正斥邪派」は、イギリス知識界の周縁へと追いやられ、孔子哲学や中国文明を陰に陽に誹謗した。

本書では、イギリスの「シノワズリ」、すなわち中国風の文芸・工芸・芸術と、孔子哲学の影響を受けたイギリスの啓蒙主義的モラリストたちの思想を精密に分析する。集中的かつ具体的な分析対象となった哲学者・文筆家は、先に列挙した一五名よりもはるかに多く、ブキャナン、ベーコン、ミルトン、ウェッブ、テンプル、フォシウス、アディソン、ポープ、チェンバーズ、ウォルポール、バーゼル、サミュエル・ジョンソン、ゴールドスミス、パーシー、ヴィンセント、ロック、シャフツベリ、ハチスン、ティンダル、トレンチャード、ゴードン、ヒューム、スミス、そして衛正斥邪派としてのバクスター・ウォートン・バークリーらの聖職者、および奴隷商人出身の三流小説家ダニエル・デフォーなど、総勢二七名にのぼる。

啓蒙主義の興起と隆盛を国別に分けて各論する最初の著作として、本書十七・十八世紀イギリスにおける孔子崇拝とモラリストたちは、イギリスにおいて具体的にいかなる契機によって、またいかなる経路を通じて啓蒙主義が胎動し発展するに至ったのかを分析・究明する。個々の啓蒙哲学者たちがそれぞれ置かれていた状況と、彼らのテクストに対する精密な検討を通じて、とりわけイギリス啓蒙の巨匠であるブキャナン、ベーコン、ミルトン、カンバーランド、テンプル、ロック、シャフツベリ、ヒューム、アダム・スミスのテクストを綿密に分析し、その思想が孔子哲学と中国の政治制度を陰に陽に模倣し、あるいはリメイクしていることを、肌で実感できるほど明確に解き明かす。

かくして本書は、ギリシアとキリスト教に由来する西欧固有の理念であると錯覚され、あるいは誤解されてきたブキャナン・ミルトン・ロックの自然的自由・平等思想と暴君放伐論、および革命・抵抗権理論、ヒュームとアダム・スミスの自由市場論、シャフツベリとヒューム・スミスの脱宗教的・世俗的な本性道徳論などが、ことごとく「極東産」であることを究明する。周知のとおり、イギリスのモラリストたちの啓蒙思想は、フランスやドイツの哲学以上に「近代ヨーロッパ」を創造するうえで、より決定的な役割を果たしたのである。

一七世紀に勃発したイギリスのピューリタン革命と名誉革命は、孔子哲学と儒教文明の西遷によって興起したバロック・啓蒙思想と新たな政治構想とを基盤として、ヨーロッパで最初に試演された大変革であった。ジョン・ミルトンはピューリタン革命を代表する思想家であり、ジョン・ロックは名誉革命を代表する思想家であった。当時はまだ「革命」とすら呼ばれなかったこの二つの革命によって、イギリスはヨーロッパ諸国よりも政治的に一〇〇年先んじることになる。一八世紀末のアメリカ革命とフランス革命、そして一九世紀のヨーロッパ各国における市民革命は、いずれもイギリスのこの二つの革命をリメイクし、あるいは政治理念的に高揚させた革命であった。したがって、近代イギリス二〇〇年間の道徳哲学と政治思想に対する孔孟哲学の影響、およびそこから生まれたイギリスのモラリストたちの啓蒙哲学と政治思想を分析することは、イギリスのみならず西欧諸国の儒教化と近代化を理解するうえでそれだけ重要な意義を持つのである。

もちろん、フランスおよびドイツ・オーストリア・スイスで起こった啓蒙思想も、各国それぞれの次元においてのみならず、相互に緊密に連結したヨーロッパ諸国という次元においても、きわめて重要である。このテーマは、引き続き刊行される近代フランスの孔子熱狂と啓蒙哲学と近代ドイツ・スイスの儒教的啓蒙主義において、国別に分説される。かくして、初期および最盛期の西欧啓蒙主義に関する全般的論述と国別の分説は、先に刊行された孔子哲学と西欧啓蒙主義の起源(上・下)、本書十七・十八世紀イギリスにおける孔子崇拝とモラリストたち、そして続いて刊行される近代フランスの孔子熱狂と啓蒙哲学、近代ドイツ・スイスの儒教的啓蒙主義、孔子とアメリカの建国の五冊の著作を通じて完結する。この五部作に集大成された具体的な研究成果を一貫して貫き、マルクス・ヴェーバー流の工場制生産・プロテスタンティズム中心の近代化言説を批判し、ネットワーク生産と儒教文明を中心とする新たな近代化理論を構築する純粋に理論的な作業は、近刊予定の西欧の儒教的近代化と極東諸国の近代的再構成と題する別個の理論書によって遂行される。

最後に、本書の一部の内容に関して予め明らかにしておきたいのは、ブキャナン、ベーコン、ウェッブ、カンバーランド、テンプル、フォシウス、ヴィンセント、ロックら八名の一七世紀の哲学者に関する論述を、孔子哲学と西欧啓蒙主義の起源(下)において展開された論述と分析を要約・整理し補完した内容で構成したという点である。これらの哲学者に関する先行的論述を援用したのは、一七・一八世紀イギリスの二〇〇年間の哲学を一つの「完結体」として編み上げねばならないという叙述構造上の理由から、また読者が本書一読のみでイギリス近代哲学の一貫した全体像を把握できるようにするために必要であったからである。

筆者は、極東の知識人たちがこの一連の著作を通じて、極東と極西との間に数百年にわたって持続してきた文明のパッチワーク、すなわち東西文明間の継ぎ接ぎと接ぎ木の現象を深く理解し、孔子哲学の世界史的な威力を正しく評価して、儒教文明に対する劣等意識を完全に克服できるようになることを衷心より祈念する。願わくは、極東の学者たち、文人・芸術家たち、そして政治家たちが極東文明に対する誇りを取り戻し、未来に向かって飛翔する学術研究と政治とを繰り広げられんことを、ただただ望むばかりである。

二〇二〇年一月竹林識。